CULTURE
2019.06.12
It's Work Time vol.02 スタイリスト 入江陽子
夢を追い続ける全ての人へ発信するお仕事連載
憧れの仕事の裏側や苦悩を含め、仕事の極意に迫るインタビュー連載。今回は、NYLON JAPANで表紙のスタイリングも手掛けるスタイリスト・入江陽子にフィーチャー。ファッション好きなら誰しも一度は夢見る“スタイリスト”という職業。
NYLON.JPでは誌面に載せきれなかったインタビューの全貌を公開。スタイリストの仕事内容はもちろん、アシスタント時代や学生時代、この仕事ならではのやりがいについて聞いてみた。
今まで経験してきたことに
一切無駄なことはない
−スタイリストとして独立してからの経歴を教えてください。
師匠が広告を手掛けていることが多かったので、最初の頃は広告やアーティストのスタイリングがメインでした。ファッション誌の仕事をするようになったのはもう少し後の話で、NYLON JAPANにはHPにメールをいただいてから携わるようになったんです。そこからファッション誌での仕事が増えましたね。それ以外にはブランドとの仕事が多く、コレクションでのスタイリングはもちろんですが、ヴィジュアルやアイテム制作のアドバイスに入ることもあります。
−どれもスタイリングの仕事とはいえ、雑誌、ステージ衣装、広告、ブランドと求められるスキルは異なりますか?
全然違います。独立した当初はファッションスタイリングだけできればいいかなと思っていましたが、今はスタイリングにまつわる全体のディレクションができないとダメだなと思うようになりました。写真のヴィジュアルやモデル、ブランドの情報も必要です。
−そういった情報源はどこから得ていますか?
ブランドやモデルの情報はInstagramから得ることも多いです。それだけでは拾いきれないこともあるので、友人と情報交換することもよくあります。センスのいい友人からはいい情報が得られますし、それぞれの得意分野に頼るのがいちばんです。
—人との繋がりは重視していますか?
それで助けられていることはたくさんあります。スタイリスト同士は意外と会う機会が少ないので、ショップやプレスの方でしたり、ファッション好きの友人に「最近いいブランドあった?」、「今気になる事は?」などと情報交換や雑談からヒントをもらったりしています。全く違う角度からものを見ている人と話すと意外な発見もあって楽しいですし、助けられていることが多いですね。
—では少し原点に戻って、スタイリストという職業に進んだきっかけは?
高校生から大学生にかけて『SEX AND THE CITY』という海外ドラマにハマっていて(笑)。このドラマのファッションがすごく可愛いと思っていたんです。このファッションをパトリシア・フィールドというスタイリストが手掛けていると知りましたが、当時は現実的な仕事だと思っていませんでした。それと、大学生の時にアルバイトをしていた洋服屋さんでよくスタイリストがリースに来ていて、この職業に実際に触れたきっかけになりました。でも、なんでこの道に進んだかと言われると就職ができなかったので……(笑)。
—大学では卒業に向けて就活ムードになっていくなかで、その時は自分も就活しなきゃという心境でしたか?
やりたいことには一気に集中するものの、やりたくないことには一切興味が湧かないというくらい自分のなかでパワーバランスがはっきりしていたんです。後者の例がまさに就活でしたね(笑)。
—就職活動もされていたんですか?
ほとんどしていないに近いですが、2カ所くらい履歴書を送りましたね。両方とも音沙汰なしでしたが(笑)。当時アルバイトをしていた洋服屋さんに就職しようと思っていたんです。アイデアを出していたり、企画を考えていたり、アルバイトながらに前向きに取り組んでましたから。でも就職はできないと聞いたのとがんばっても評価されない環境だなと思い辞めました。文化女子大学(現:文化学園大学)に通っていたので、ファッションは好きだったけど、なんの仕事がしたいのか具体的にはまだわかりませんでした。当時は高校からやっていたダンスに夢中でほとんど学校に行っておらずギリギリ卒業の成績でしたが、なぜか焦りはなかったです。ダンスは趣味の範囲でしたが、ステージで着る衣装をコーディネイトしたり製作したり、海外に目を向けることができたり学校では経験できないことをたくさん経験できました。まだ勉強しようと思い、留学も考えましたが、バイト先での繋がりもあってたまたまスタイリストのアシスタントを始めました。
—スタイリストになろうと思ってなったわけではないんですね?
漠然とスタイリングが好きかもとは思っていましたが、具体的にどういう仕事なのかもわからない世界だったので、とりあえず勉強の一環でアシスタントやってみようかなって。お給料もなかったので就職先という意識ではなかったですね。
-大学生時代のお話をお聞きしたいのですが、どのような学生生活を送っていましたか?
ファッション系の勉強をしたいと思って大学の短期大学部で服装造形の勉強をしていました。でも、学校にはほとんど行かずギリギリの成績でしたし、裁縫も向いてないと思っていたこともあり、短大卒業後に服装学部の服装社会学科(現:ファッション社会学科)に編入しました。具体的に進級して勉強したいからというよりも、当時ダンスをしていたのでまだ続けていたかったし、進路もまだ定まっていなかったのでまだ学生でいたいなって思っていて(笑)。正直、学校にはあまり馴染めなくて、当時はダンスやクラブで出会った友達とばかり遊んでいましたね。
-遊びも充実させていたんですね。
飲み歩いてはいろんな友達を作っていました(笑)。あとは、ダンス。先ほどもお話した通り、ダンスで衣装を作っていたので、それが楽しくてファッションに携わりたいなと思って洋服屋さんでバイトを始めたっていうこともあります。
-学生時代に経験したことで今に活きていることはありますか?
当時は意味ないと思っていても、今まで経験したことは一切無駄ではありませんでした。ダンスも学生の時は自分が表に立ってパフォーマンスすることを仕事とするのは違うなと感じて大学と共にきっぱり卒業しましたが、この時の経験が今もかなり役に立っているんですよね。アーティストのお仕事をいただいた時に、こういうディテールだと踊りにくいとか、舞台ではこういうデザインだと映えるなどと、自分の経験が仕事に反映されているという実感をかなり感じています。大学の授業のなかで不真面目ながらにも最も成績が良く、自分のなかでも得意としていたのがデザイン画の授業だったんですが、高校生の時に1度美大を志して予備校に通っていた時があって、当時は「私、向いてないな」と思って辞めましたが、この時のデッサンの授業が活かされていたんだなって。アシスタント時代もリース返却で街中を駆けずり回って辛いと思っていたけど、今では道に詳しくなって効率良くスケジュールを組めるようになっただとか、繰り返し続けて飽きてしまい「無駄だ」と思っていたことでも逆に次の師匠にはその経験が重宝されたり、全て今の仕事に活かされているんです。私のなかではこれがスタイリストの楽しさだと思っています。
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Yoko Irie/入江陽子 1985年、広島県生まれ。アシスタントを経て2013年独立。2016年からTRON management所属。国内外のエディトリアル、ブランドのLOOKBOOK、アーティストのスタイリングなど幅広く活動。女性らしさのなかにエッジを効かせたバランスのとれたスタイリングが得意。 Instagram :@yoppy0105 |
ILLUSTRATION: ERI AIKAWA
INTERVIEW: KAHO FUKUDA
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