自分のなかでルールを作って貫くことが大切
とにかく嘘のない仕事がしたい
-その後、坂口さんがコーヒーロースターとしての道を選んだ経緯を教えてください。
2014年に病気になったんです。それで芸能も芝居も、大好きなサーフィンも一時的にできなくなって。これはやばいな、と。ちょうどその時結婚して、1人目の子供が生まれたんですけど、子供が大人になって「パパって何の仕事をしているの?」って聞かれた時に、「昔テレビに出てたよ」って言うだけじゃダメだろって思ったんです。
-家族への思いが最初にあったんですね。病気だとわかった時は、どう感じましたか?
見るからに健康優良児なのに、なんで? って。本当にびっくりしました。治らない病気って聞いて、最初に出てきた質問は「サーフィンできますか?」だったんですけどね(笑)。頑張ればできるって聞いて少しだけ安心しました。
-その時、絶望的な気持ちにはなりませんでしたか?
絶望はなかったんです。芸能は終わっても俺は終わらないって思いがありました。坂口憲二、もうテレビ出てないよね、とか言われることもあるだろうけど、俳優としては時代にひとつ爪痕を残せたと思っています。それに、40歳になって、自分が主体になって仲間と一緒に何かを作り上げることをやりたかったんですよ。家族の存在も大きかった。失うものはあったけど、実は得るもののほうが多かったんです。人間って絶対どこかで試練がある。どんな金持ちだって、人気者だってどこかでつまづく。でも、神様が与えた試練を乗り越えられたらそれが自分の自信になるんじゃないかな。
-そのゆるぎない強さ、本当に素晴らしいです。
あと、正直に言うと、役者は好きだけど芸能界はあまり得意じゃなかった。向いてないんだよね(笑)。だから、離れるという決断の後押しにもなったんです。そういうきっかけがなければずるずるとやっていたかもしれないから、逆にラッキーだなって。
-なぜコーヒーに注目したんですか?
もともとコーヒーは大好きだったんですけど、妻が住んでいたポートランドでコーヒーシーンに触れたことがひとつのきっかけになりました。あと、京都の「直珈琲」というお店に出合ったことも大きいかな。サードウェーブとはまた違う日本の喫茶店の魅力があって、そこに立つスタッフがまるで職人のように見えたんです。それから寝ても覚めてもコーヒーのことが気になって、道具を揃えて、自分で淹れて、ネットで調べて、プライベートレッスンをお願いして……そうして出会ったのがバリスタ/ロースターの成澤さん。国内の大会で優秀な成績を残している方で、週2回、2時間のレッスンをお願いしていました。
-そこから専門的にコーヒーの世界に入り込んでいくんですね。
コーヒーって、科学の実験みたいなんですよ。温度、豆の量、時間はもちろん、TDS計というマニアックな計測器具まで使ったりして、計れるものは全て計る。いろんな豆の味も知りました。そうしているうちに、緑色の生豆がどうやって焙煎されて、コーヒーとして美味しくなるんだろう? って気になって、そこで、バリスタではなくてロースターをやりたいなと思うようになっていきました。機材を揃えて技術を身につければ、店舗に立つわけじゃないから自分の好きな時にできるのも家族と病気と共に生きる自分にとっては良かった。そこから1年半以上焙煎を学んで、ちょっとずつちょっとずつ道具を揃えて、知り合いのサーフショップで飲んでもらったりして、それで今年大きい焙煎機を導入して九十九里でロースタリーをやってみることにしたんです。最初はオンラインショップで売ってみたけど、全く売れなかったですね(笑)。
-坂口憲二、という名前は明かさなかったんですね。
焙煎した豆にプライドを持ちたいからこそ、最初は名前を出さずに始めました。コーヒーづくりって、いくらでも嘘がつけるんですよ。隙間があるんです。ちゃんとやってる人は厳しくチェックしてデータを取って細かくこだわって、それがプライドだと思うんです。俺はまだ1年生だけど、自分のなかでルールをつくってそれを貫くことが大事かなって。坂口憲二という名前で売ることは真剣にやっているロースターの方々に失礼ですからね。今は焙煎所も立ち上げたし、少しずつコーヒーの評判もついてきて、考えていることを地道に伝えていきたいと思うようになっています。
-それこそが、坂口さんの仕事の哲学ですよね。
とにかく、嘘のない仕事がしたい。またサーフィンの話になってしまいますが、俺達は普段住んでいる都会では、嘘をつけるんです。人と人だから自分を大きく見せることができる。いろんな背景が絡まってしまう。でも、海に入ればお金持ちも、偉い人も、見た目がいい人も、関係なくなるんですよ。海を知っている奴だけがいい波に乗れる。東京から高級車に乗っていいサーフボード持ってきたって、いい波には乗れない。その状態がいちばん自然なんですよね。社会の枠のなかで生きていたら、嘘をついちゃうことはよくあるし、それが当たり前みたいになっていく。最初は後悔するんだけどある時から当たり前になってきて、俺自身が麻痺してた。でも、 1発潮にもまれると、自分がいかにちっぽけかすぐにわかるんです。でっかい波にのまれたら何もできない。息もできない。芸能界でいくら人気があったって、そこでは全く意味がない。フラットな存在になれるんです。
-なるほど。それは坂口憲二さんだからこそ見えたものでもあるし、現代社会で生きる全ての人が気づくべきことだと思います。
俺は今44歳なんだけど、プラスを求めるんじゃなくて、引いていくこと、マイナスにしていくことが大事だと思っています。20代、30代はいろんな出会いがあったし、吸収する時期だと思う。でも今度はいらないものを捨てて、本当に自分に必要なものだけを大事にしていく時期。サーフィンだけはずっと続いているし、今は病気の関係で、思い通りには乗れないけど、それもまた良くって。当たり前に海に入れた頃より、苦労して立てた瞬間に、そのありがたさがよくわかるんです。
-俳優を離れて、病気を超えて、今本来の自分に近づいてる、ということなのかもしれません。
そうかもしれません。でも、そんな大袈裟なことでもないのかな。このお店は自分を含めて3人でやっていて、コーヒーに向き合う2人の人生と才能を預かっているんです。俺は芸能界でいろんな人に守ってもらってたけど、今はもう丸裸で、逆に自分で決めて責任をとるわけだし、お店の2人のことも家族のことも守らなくちゃいけない。そこにやりがいがあるんです。
-生きることそのものや人のことを、本当に大切にされているんですね。
不器用なんですよ、そういうところが。本当はもっと器用にやりたいんですけどね。フェイストゥフェイスで人と話せるのもすごくうれしいんです。コーヒーだとそれができる。手紙やネットの声もうれしいけど、直接聞けるのがいちばんいいですね。
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坂口憲二 The Rising Sun Coffee 代表兼ロースター。1975年11月8日生まれ、東京都出身。A型。1999年より、ファッション誌『MEN’S CLUB』のレギュラーモデルを務める。同年10月に、テレビ朝日系ドラマ『ベストフレンド』でドラマデビュー。以降、俳優業を中心に活動。父は格闘家の坂口征二。2018年3月、特発性大腿骨頭壊死症の治療に専念するため、芸能活動の無期限休止を発表。2019年、The Rising Sun Coffeeを立ち上げ、代表兼ロースターとして活動をはじめる。 Instagram :@therisingsuncoffee |
ILLUSTRATION: RYOGA OKAMOTO
INTERVIEW: TAIYO NAGASHIMA
EDIT: KAHO FUKUDA
WEB DESIGN: AZUSA TSUBOTA
CODING: NATSUKI DOZAKI