CULTURE
2019.10.11
It's Work Time vol.6 makeup artist Rika Matsui
夢を追い続ける全ての人へ発信するお仕事連載
憧れの仕事の極意に迫るインタビュー連載。
今回は、数々のファッションショーや雑誌でキャリアを重ねてきた松井里加を取材。
これまでの経験から導き出した“美”の答えを問うた。
パリコレに憧れファションの道へ
そこで出会ったメイクの魅力
-学生時代はスタイリストを目指して文化服装学院のスタイリスト科へ進まれたと伺いました。もともと興味があったのはファッションでしたか?
高校生の時、『ファッション通信』というファッションジャーナリストの大内順子さんがパリコレクション(以下:パリコレ)を取材していくファッション番組があったんです。それを見た途端にこれだ! というくらい衝撃を受けて何度も見返すほどハマってしまいました。その番組で紹介されるファッションショーに憧れて、大内さんのようなグローバルな人になって、ファッションに関わる仕事がしたいと思い、スタイリストを目指して文化服装学院(以下:文化)へ入学しました。
-メイクに注目するようになったのはいつ頃ですか?
服のコーディネイトすることは好きでしたが、不器用だったので縫う作業が苦手で、母や祖母にまで手伝ってもらっていたんです(笑)。しかも、当時先生から「スタイリストは裁縫ができないとなれないよ」と言われて、「ちょっと無理かも」って思い始めた時、文化のファッションショーでメイクチームのリーダーになったりとメイクする機会が増えたんです。当時人気だったケサランパサランを使って授業を受けられるというファンだった渡辺サブロウさんが経営されているメイクスクールに行くために両親を説得して、昼は文化、夜はメイクスクールとダブルで勉強していた頃からです。
-卒業後はヘアサロン『SASHU』に就職されたとか。なぜヘアサロンへ就職されたんですか?
文化に通っていたのでプレスや販売員への道も考えて、アパレルの就職活動も行っていたのですが、メイクスクールの下の階がSASHUで、通っているうちにSASHUから「ここで働かないか?」とお誘いをいただいたので、いろいろ考えてメイクの道に進もうと決意しました。
-SASHUではどういった仕事をされていましたか?
当時すごく人気アーティストだった渡辺サブロウさんのヘアサロンということもあって、ヘアカタログのような雑誌の撮影をやりながら、予約を取るなどのフロントの仕事もしていました。お客様にメイクのアドバイスをしたり、眉毛カットをしたり、結婚式のメイクをしたりといろんなことをしていましたね。
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Rika Matsui/松井里加 2000年よりNYを拠点にミラノやパリでメイクアップを行い、2006年帰国。国内外のファッション誌のみならず、ビューティ誌でもそのハイエンドなクリエイションを提案。化粧品のアドバイザーやコンサルタントとしても活躍する。多くの海外セレブのメイクも。 Instagram :@rikamatsui26 |
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INTERVIEW: KAHO FUKUDA
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