市場はパリよりもNYの方が大きかった
アシスタントを経験してメイクの概念が一変
-その後NYで活動されていますよね?
サロンでは5年半働いて楽しく仕事していましたが、もっと深くメイクの勉強がしたいと思ってNYへ行こうと決心したんです。
-なぜ憧れのパリではなくNYを選んだんですか?
もちろんパリコレに憧れていたのでパリ行きも考えましたが、市場はNYの方が大きく、ヨーロッパの雑誌もNYで撮影することが多い、カメラマンもNYに多く住んでいると聞いたんです。それに1人だけ友人がいて、たとえ1人でも知り合いが現地にいるということが心強かったですね。あと、文化の時、フランス語を勉強していたのですが、挫折した苦い思い出もあって(笑)。今でもNYで良かったと思っています。
NYに行きたての時の写真。まだ道もわからず地図が手放せませんでした。
-NYには何年くらいいらっしゃいましたか?
6年くらいですね。
-最初はどのように過ごしていたんですか?
最初は語学学校に通っていました。そもそも1年くらいで帰ろうと思っていたんです。パリコレが好きで、海外のモード誌も読んでいたので、そういう撮影現場が見れたらいいな、くらいに思っていたんです。でも、SASHU時代に作った作品を持って「こういうメイクしています」っていろんな人に見てもらっているうちにカメラマンの人達とテストシュートができるようになって。1年後には作品作りが面白くなり始めて、もっとNYにいたいと思うようになりましたね。
-本格的にキャリアをスタートさせたのはいつでしたか?
NYで暮らし始めてから1年経ってようやくアシスタントに就いたのが、日本人アーティストの吉川康雄さんでした。
-吉川さんとはどういうつながりで就くことに?
自分で康雄さんの事務所に作品を持って行ったんです。NYコレクションでいろいろ周っていた時にマネージャーさんから「あなた、康雄のアシスタントしない?」って声をかけてもらって。
-アシスタント時代はどうでしたか?
ずっと学生ビザで、朝6時半からアシスタントに行って、夕方から19時半くらいまで語学学校。その後はバーでアルバイト。向こうの事務所に入るまでずっとそういう生活でした。忙しすぎてボロボロでしたね。寝れないし、お金もないし。でもちゃんと学校に行かないとビザがなくなってしまうので、真面目に行っていました。
祖母がNYに来てくれて一緒にMOMAへ。
-途中でくじけそうにはなりませんでしたか?
NYでは周りが頑張っている人ばかりだったので、お金がないのもあまり苦にはならなかったです。苦しいながらも楽しかったです。
-吉川さんのアシスタントを経験したなかで学んだことは?
康雄さんのメイクはクリエイティヴな面で勉強になりました。撮影でもショーでも、強調するところはして、引くところは引く。それまでの感覚ではファンデーションの後、パウダーをすることが当たり前で、そうすることからなかなか抜けられなかったのですが、必要なかったらコンシーラーだけにするとか。極端にウェットにした写真のためだけのメイクとか、そういう引き算メイクと撮影のメイクが勉強できたんです。
-アシスタントに就いていたのは吉川さんだけでしたか?
吉川さんに就かせていただいていたのは1年くらいですが、私にとってメイクの概念が変わるほど勉強させてもらいました。その後は単発でいろんな方のアシスタントをしました。最後にパリコレにつながるアーティストに就いて、遂に憧れのパリに行くことになったんです。
コレクション時の大量のスーツケース。
-実際のパリコレクションはいかがでしたか?
たくさんのショーを突然経験したのでついていくのに必死で、人生でいちばんテンパっていたと思います。パリとミラノを合わせて100個のメイクバッグをさばいてパッキングしていましたし、そのなかに何が入っているかも全部把握しなければいけませんでした。毎日ショーが終わった後次の日のショーのテストメイクが夜中まで。ほとんど寝られず、朝になったらまたその準備で大忙しでした。この時の経験は本当に生きるか死ぬかくらいあたふたしていましたね(笑)。あるショーではモデルが75人もいたし、別のショーではモデル全員の眉毛をブリーチして、ショーが終わったら元の色に戻さなければならないという仕事もあり、もうテンパりまくっていましたね。
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Rika Matsui/松井里加 2000年よりNYを拠点にミラノやパリでメイクアップを行い、2006年帰国。国内外のファッション誌のみならず、ビューティ誌でもそのハイエンドなクリエイションを提案。化粧品のアドバイザーやコンサルタントとしても活躍する。多くの海外セレブのメイクも。 Instagram :@rikamatsui26 |
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