CULTURE
2019.11.21
It's Work Time vol.7 Industrialist Emiri Aizawa
夢を追い続ける全ての人へ発信するお仕事連載
憧れの仕事の極意に迫るインタビュー連載。
今回は、“日本一のキャバクラ嬢”と呼ばれ、
引退後も様々な事業を成功させる女社長として名を轟かせる愛沢えみりを取材。
伝説のキャバクラ嬢時代から、現在の仕事に対する心情の変化まで、
人とのコミュニケーションが導いたその軌跡を紐解いた。
キャバクラ界で伝説と呼ばれた愛沢えみり。2019年3月、2日間にわたって行われた引退イベントでは、店内に1億円のシャンパンタワーが設置され、約2億5千万以上もの売り上げを叩き出した。現在は株式会社 voyageの代表としてオリジナルブランドの販売や、店舗プロデュースなどの事業を展開させ、また自身もInstagramフォロワー数50万人以上を持つ人気モデルとしても活躍している。
-日本一のキャバクラ嬢と呼ばれた愛沢えみりさんということで、まずキャバクラ嬢時代のお話から伺いたいと思います。「好きだったという気持ちで10年間続けられた」と伺いましたがその原動力はなんでしたか?
人と話すことが好きで、夜の華やかな世界も好きでした。最初は結果だけがやりがいに感じていましたが、続けていくうちに新しく出会ったお客様とお話することや、夜のネオン街、そこで働く人達などキャバクラに関する全てのことが好きになったんです。たくさんの出会いがあったことはこの仕事を通して得た幸せでしたね。ここが私の全てだったからこの世界が好きという感情が原動力になったんだと思います。
-キャバクラの仕事が好きになるまでには具体的にどういう変化がありましたか?
18歳から20歳になるまでは六本木のお店でびっくりするほど適当に働いていたんです。たぶん、日本一不真面目なキャバクラ嬢だったと思います。その後歌舞伎町で働くようになってから、お店の人から言われたことは2つ。「とにかく毎日同じ時間に出勤すること。楽しんで仕事すること」。このお店に入ってから働き方を変えて毎日お店に立つようにしたんですよね。今思えば仕事だから毎日働くことは普通のことなんですけど、それはキャバクラではやらなくてもいいことなので、そのやらなくてもいいことを続けることが大変でした。でもこの働き方が身についてきた時に初めて仕事に対するやりがいや、お客様が来てくれるようになって。結果が目に見えてわかる世界なので、いいも悪いも全部自分に返ってくるのが自分の性格的にもあっていて、そこが楽しいと感じるようになりました。
-キャバクラ人生のなかでえみりさんなりのノウハウはどう編み出したんですか?
売れている人を見て、その人の良いところを真似していく。売れていたのに落ちていってしまった人もいいお手本だなと思って、その双方を自分なりに分析していました。当時売り上げも高くて尊敬している方がいて、「こうしたら売れるんだ」ということをたくさん学びましたし、夜の仕事を卒業したのにまた夜に戻ってきちゃった人は、どうしてそうなるんだろうと原因を考えてみたり、良いも悪いも絶対に理由があると思うので、その理由が自分なりにわかれば身になると思って分析する癖をつけるようにしていました。
-分析する力は現在の仕事でも活かされていますか?
活かされていますね。例えば、新しく美容クリニックをプロデュースした時に、この事業で成功している企業を徹底的に調べて、こうしているから上手くいっているんだ、こういう時代だからこのクリニックはこうなってしまったんだなど、何も知らないで、ただがむしゃらに頑張るよりも、始める前にある程度理解しておけば、一歩先に進めると思って。これはキャバクラ時代のどう売れようって常に考える癖が今の力になっていると思います。
-その力がもともと備わっていれば次にも発展しやすいと。
そう、もともと自分には何もないという自信のなさもあったので。お酒も全く飲めないし、歌が上手くないのでカラオケにも行けないし(笑)。キャバクラ嬢としていいところがあまりなくて……。
-お客様はえみりさんがお酒を飲まないことに寛容的だったんですか?
いえ、私が飲めないことを知らない人はまだいると思いますよ。最初から「私お酒飲めません」って言ってしまうと「飲めないんだったら違う席行けよ」って言われることも全然あって、さすがに雰囲気も悪くなってしまうので、いかに飲まないで飲んでいる風に装うかでした(笑)。
-やはり辛かったこともありましたか?
売り上げを変えたくないっていうのは結構大変でしたね。あとはキャバクラ時代というか、キャバクラ嬢をやりながら『小悪魔ageha(以下アゲハ)』という雑誌に出始めて、両立することが辛かったです。キャバクラは夜の仕事だから、昼に稼働する雑誌の仕事に行くのが大変でした。
-その辛さというのは体力的なものでしたか?
体力的にも辛かったですね。あと、雑誌内で“No.1キャバ嬢”と書かれることが多かったので、今までは自分のなかで「1番がいい」って思っていたものが、「1番でなくてはいけない」という認識に変わって、その認識の変化が結構大変でした。「この子が売れてます」みたいなもっとライトな感じだったらそこまで重く感じなかったかもしれませんが、自分のなかでキャバクラというものに対して第一に働いていたので、もちろんそこを取り上げてくれたアゲハには感謝していますが、辛いと感じた時もありました。
-「アフター(営業後にキャバクラ嬢がお客様と一緒に遊びにいくこと。ここには一切時給が発生しない)には絶対に行かなかった」とお聞きしましたが、そういうところがえみりさんのプレミア感につながっている印象を受けました。
自分をどう売るかじゃないですけど、そういうことまで考えるのが大事ですね。それに、同伴(お客様と一緒に来店すること)はしていましたが、アフターは終わりがなくなってしまうし、生活もボロボロになってしまうので。ただ成り行きで、「今日アフターに誘われてないから行かない」っていうよりは、どんな状況であっても私は決して行かない。自分のキャラをブレさせないことが重要なんです。
-今の歌舞伎町のいいところ、また、悪いところはなんだと思いますか?
いいところは誰でも受け入れてくれることですね。六本木だと結構他人行儀なところがあるんですけど、歌舞伎町はその場で受け入れてくれるし、根掘り葉掘り聞かれない。その点は銀座も似ていると感じます。一般的な職業ではその人の過去や経歴を気にしてしまうようなところがありますが、歌舞伎町は今だけを見てくれますね。悪いところは、よくも悪くも誘惑が多いということ。ここにいると別世界にいるような感覚になるので、そこでしか生きていけなくなったり、生活できなくなってしまう人もいます。すごく小さい範囲での世界しかわからなくなってしまうんですよね。そういういいところも悪いところも理解して歌舞伎町と付き合えば、自分のためになることがたくさんあると思います。
-10年間ものキャバクラ時代を経て、引退後アパレルやクリニック、プロデュース業など多岐にわたってご活躍されていますが、この10年間のキャバクラ経験が活きたことはありますか?
たくさんありますね。自分から営業してお客様を呼ぶということが癖になっていたので、やりたいことができた時に助けてくれる人に連絡してみるとか。困った時に誰かわかってくれる人を探してみようだとか、1回辞めてしまった人や、ケンカをしてしまった人にも自分から連絡してみようなど自ら連絡するということが染み付いていました。
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Emiri Aizawa/愛沢えみり 1988年9月1日生まれ。歌舞伎町のジェントルマンクラブに在籍していた2011年、23歳で雑誌『小悪魔ageha』からスカウトをされ、初登場ながら特集を組まれる。その翌年2012年には同誌の専属モデルとなり、モデルとして活動しながらも『日本一のキャバ嬢』としてTV、ラジオなどにも出演。2013年7月には自身初のブランドとなるEmiriaWizを立ち上げ、2016年に新宿に第1号店を出店。モデル・社長もこなす傍ら、ドレスサイト“maison de beaute”、美容クリニック“VENUS BEAUTY CLINIC”、歌舞伎町キャバクラ“FOURTY FIVE”のプロデュースも行っている。 Instagram :@emiri_aizawa |
ILLUSTRATION: FUKUDA
INTERVIEW&EDIT: KAHO FUKUDA
DESIGN: AZUSA TSUBOTA
CODING: JUN OKUZAWA