目の前のことを一生懸命頑張ることは
生きていく上でも自分のためになる
-現在のお仕事で月商2億という実績。そんな偉業を成し遂げるまでにはどのような道のりがあったんですか?
今までやってきたことの繰り返しですよ。いきなり実績が伸びたわけではなくて、コツコツと努力を重ねてたどり着いた結果です。雑誌でもキャバクラでもいきなり人気が出たわけではなく、先ほどの分析することもそのひとつですが、全ては積み重ねです。
-事業を進めていくなかで様々な苦悩があったと思いますが。
でも最近は人の話も聞けるようになったので(笑)。最初は「私はそんな店舗だったら行かないけど作れば?」みたいな切り捨ての言葉を言ってまで自分のやりたいようにやっていましたが、今は人の意見も大切だなと感じています。なぜそう思うのかを聞いて、納得できるものには「確かにね」と思うし、聞いた上でも違うなと思ったら「こう思うんだけどどう思う?」と別の人に聞いてみる。立場があるので、みんな1度言ったことに対して私が「違うな」と思っていることを察してしまったらもうそれ以上言えなくなってしまうと思うので、何度も話し合うようになりました。
-多数決のような話し合いですね。
そうですね。でも昔はできなくて、私1対10でもこっちの意見だったので(笑)。
-では、それも今の仕事の楽しさのひとつにもなっていたり?
それをやるようになってから、私1人でというよりみんなで作ったという意識に変わりました。関わってくれた人も今まで以上に頑張ってくれたり、考えてくれるようになったので、より大きくさせることができましたね。
-そういったことも経て、キャバクラ時代と今とでは考え方や心境の変化はありましたか?
キャバクラ嬢を引退してからは結構変わりましたね。FOURTY FIVE(現在プロデュースを手掛けている歌舞伎町のキャバクラ)をプロデュースすると決めてからも変わりましたが、みんなが売れてほしい、お店がもっと良くなってほしい、大きく言えばキャバクラ界がもっと良く見えるようになったらいいなと思うようになりました。全員に良く思われないのはしょうがないことですけど、全部が全部悪いわけではない。本気で頑張ればすぐに結果が出る仕事です。今までは好きだからという気待ちで突き進んでいましたが、仕事として考えてみても普段出会えないような人に出会えたりするのでいい場所だなと思います。働いていた時はそれが普通だと思っていましたが、いざ引退してみたら、それはすごく感謝しなきゃいけないことだったんだなと思いました。
—キャバクラ嬢というプレイヤーの立場から、キャバクラをプロデュースする立場に回ったのは革命的とも言えますが、プロデュース側に回った理由は?
キャバクラ嬢という仕事は長く働ける仕事ではないので、どこかのタイミングで辞めるか、新しく仕事を始めるか、結婚するかしか選択肢がなくて、自分がこれだけキャバクラで頑張ってきたのに、辞めてしまったらもう縁がなくなってしまうのは悲しくて。キャバクラが好きで10年間も続けてこれましたし、今後も関わっていきたかったんです。実際、引退する2〜3年前から現役を離れることを決意していました。でも辞めてすぐ「お店をプロデュースするのでよろしくね!」と言ってもきっとみんな受け入れてくれないと思ったので、引退後もプロデューサーとして認めてもらえるように辞めるまでの間、裏方の仕事を勉強して、実際にその仕事もこなしていましたね。
-キャバクラ時代は「キャバクラが好きだから」というモチベーションで邁進していたとおっしゃっていましたが、現在のモチベーションはどこにありますか?
やっていて楽しいとか、応援してくれる人がいるから頑張ろう、悔しいからもっと頑張ろうっていう気持ちもありますが、キャバクラという場所が好きで、キャバクラ嬢だけどここまでやってこれたというこの気持ちがいちばんのモチベーションかもしれません。
-では、「キャバクラ嬢だから……」という言葉はいちばん言われたくない言葉なのでは?
そうなんですよ。そこはずっとそう言われていたおかげじゃないですけど、それが逆に頑張るパワーになれたので、ネガティヴな意見も含めてキャバクラ嬢で良かったなと思いますし、それがなかったらできていなかったかもしれないですね。
-なかでもいちばんバネに変わった出来事はありましたか?
アパレルを始めた時に、周りが潰そうとしてくることが多くて(笑)。キャバクラ嬢同士ではお客様の取り合いとかそういうことが当たり前にあったんですけど、それは個人じゃないですか。対会社であってもそういうことがあるんだなと思って。しかも会社になると規模が大きくて、世のなかこういうもんなんだって思いましたね(笑)。私がキャバクラ嬢だからというわけではなくて、仕事ってこういうもんなんだなって。
-具体的に言うとどんなことが?
2〜3年くらいいろいろありましたが、それが嫌だと周りに話した時に「そんなの当たり前だよ」って言われたことがあって。「H&Mの隣にZARAがあったりするでしょ? あれも普通に考えたら嫌じゃない?」、「車のメーカーだったらトヨタが新しい販売方法に出たら日産も同じような販売方法を取り入れるでしょ?」みたいなことを言われて、「それは仕事をする上で普通なことだし、逆にそれがないと成長できないよ」と気づかされたので、そこで諦めて辞めるか頑張るかって選ぶ時に「じゃあ頑張ろうかな」って思うようになったんです。そこでどんな仕事をしてもこういうことは付き物なんだと納得できたので、今やっているクリニックでも同じようなことが起きても、ネガティヴに捉えないようになりました。
-常に仕事で多忙な日々を過ごされているかと思いますが、働き詰めの毎日とうまく向き合うにはどう過ごしていますか?
結構不規則な生活をしていて、これが普通になっているのでどうでしょう……。人によって違うと思いますが、好きなことを間に挟みながら、ただかむしゃらに頑張るだけでは続かないと思います。私は旅行が好きなので、例えば10日間旅行に行くために普段は休まずに仕事をするだとか。でもあまり仕事をしている意識がないので、仕事が苦だとは思ってないかな。大変な時もありますが、そこさえ頑張ってしまえば全部が大変だというわけでもないので。ただ「あーもうこの瞬間大変で超ヤダ!」っていう事件が起きたりするじゃないですか。でもそこだけは絶対に逃げないで解決したり、立ち向かおうと決めているんです。そこさえ乗り切ればまた普通の毎日に戻るので。
-「日本にいると仕事をしてしまう」とお聞きしましたが、海外旅行中でも仕事の連絡は取っていますか?
あまり取らないですね(笑)。周りにある程度理解してもらっています。でも、仕事をしようとは思っていませんが、旅行先でこういうの作りたいなとか、こういう仕事したいなっていうのは結構頭に浮かびます。そういう仕事をしない時間のなかでも仕事のことを考えるのは本当に好きだからなんだろうなと思ったりしますね。日本にいてこれやらなきゃとか、この仕事もいいなと思うのとはまた違う感覚で、改めて休みのなかで仕事をすることが好きなんだなと思うことがありますね(笑)。
-これまでお話を聞いていると、社員の方々との距離が近いように感じます。
めちゃくちゃ近いです(笑)。ほぼ対等ですよ。あまり自分ができない分、周りからのフォローに助けられます。アパレルをメインでやってくれている子がめちゃくちゃで仕事ができる子なんです。でもその子の入社理由が、うちの会社が株式会社ボヤージュっていうんですけど、浜崎あゆみが好きだから(浜崎あゆみの曲に『Voyage』という曲がある)みたいな理由で(笑)。最初からすごく仕事ができたというわけではなくて、タバコを吸いにすぐどこか出かけちゃうような人で「この人本当に辞めさせてやりたい!」って思うくらいだったんですけど、いつの間にかアパレルの事業をする上で欠かせない存在になっていて。違うなと思ったことははっきりと「それ違いますよ」と指摘してくれて、きっとお堅い社長だったり、完璧な社長だったらこうやって意見を言ってくれることはできないと思うんです。
-社員さんから「話しませんか」と声をかけられることもありますか?
ありますね。「このことについて相談があるんですけど」みたいな。でもそれに対して「じゃあ今話そうよ」みたいな唐突な感じだと向こうも心構えがあるので、「いきなり何を話そう」って思ってしまうだろうし、自分もその話についての準備をしないと話しているうちにヒートアップしちゃって思っていることをブワーッて言ってしまって。こういうつもりじゃなかったのに、じゃあ話さないほうが良かったじゃんと後悔してしまうので、自分が何を聞きたいのか箇条書きでメモを用意したり、最初は相手の話を全部聞いてからに話すようにしています。
-話し合いの後は実際改善されることもありますか?
大体変わりますね。でも1度話したからといって完全に上手くいくとも思っていないので、これをきっかけに「最近どう?」と様子を気にしています。
-えみりさんの今の人生のテーマはありますか?
大変な時に頑張る。それだけですね。あとは慣れてしまえば大変なことが普通になってくるので。
-「頑張る」というのは具体的にどういうことでしょうか?
解決しようとすること。自分の感情は1回抜きにして、どう解決しようとするか、その物事だけがどうやったら今より上手くいくかということを考えたら、自分はすごい嫌な思いをしてでも我慢出来ると思うんです。もちろん時と場合によって解決方法は違うと思いますが。
-そういう辛いことに対して頑張る、努力した先に得られるものは何だと考えますか?
努力しても必ずしも上手く行くわけではないじゃないですか。そうだとしても自分自身が一番成長できて、あとになって「あの時ああだったな」って笑える時がくると思います。もし上手くいったらラッキーだし。
-これからの人生プランや、今新たに始めようと考えているものはありますか?
アパレルはこのまま続けて、やっぱり美容が好きなので、美容クリニックはもっと大きくやりたいですね。あと、料理ができないので、飲食店やカフェをやってみたいです、自分が食べたいものや飲みたいものを飲める場所(笑)。
-では最後に、夢を追いかけるNYLON読者に向けてメッセージをお願いします!
夢を持つことは大変だと思うので、最初から何かしたいと決めている人はそう多くないと思います。自分もそうだったし、やっていくなかで見つけたられたので。夢がないからどうしようと悩むよりは、目の前のことを一生懸命頑張っていれば夢が見つかるかもしれないし、もちろん夢がある人はその夢に向かって頑張らなくてはいけない。何にせよ目の前のことを頑張ることは、仕事のためだけじゃなくて、プライベートでも嫌なことを我慢できたり、人に優しくなれたりするので、生きていく上で絶対に自分のためになることです。最近世間的には「無理して頑張りすぎないほうがいい」という風潮になってきているけど、やっぱりどこかで頑張らないと年を取った時に苦労するだろうし、せっかく生きるなら若い内にある程度苦労したほうがいいと思います。それはどんな仕事をしている子にも言えることですね。別に辞めてもいいけど、きっと他のところに行っても同じことが起こると思います。どこかで自分が我慢して、それでも上手くいかなくて違う道を考えるしかないというなら諦めてもいいと思うけど、最初から頑張らないで逃げるっていうのはやめたほうがいいと言い続けています。仕事だから関係ないと思う人も多いと思いますが、仕事もプライベートも考え方は同じなので、頑張ることは楽になることの手段のひとつだと思います。
Emiri Aizawa/愛沢えみり 1988年9月1日生まれ。歌舞伎町のジェントルマンクラブに在籍していた2011年、23歳で雑誌『小悪魔ageha』からスカウトをされ、初登場ながら特集を組まれる。その翌年2012年には同誌の専属モデルとなり、モデルとして活動しながらも『日本一のキャバ嬢』としてTV、ラジオなどにも出演。2013年7月には自身初のブランドとなるEmiriaWizを立ち上げ、2016年に新宿に第1号店を出店。モデル・社長もこなす傍ら、ドレスサイト“maison de beaute”、美容クリニック“VENUS BEAUTY CLINIC”、歌舞伎町キャバクラ“FOURTY FIVE”のプロデュースも行っている。 Instagram :@emiri_aizawa |
ILLUSTRATION: FUKUDA
INTERVIEW&EDIT: KAHO FUKUDA
DESIGN: AZUSA TSUBOTA
CODING: JUN OKUZAWA