CULTURE
2020.05.25
It's Work Time vol.13 model Ahn Mika
夢を追い続ける全ての人へ発信するお仕事連載
ちょっと珍しいお仕事をしている人に
インタビューする人気連載。
今回は、モデル、デザイナー、執筆など
多方面で活躍するアン ミカを取材。
常にポジティヴで前向きな姿勢で活動する彼女に、
そのマインドを保つことができる理由や
秘訣を聞いてみた。
アン ミカが伝授する自分で掴み取るポジティヴマインド
—NYLON JAPANの幅広い年齢の方々に愛読いただいていますが、なかでも20代前半の読者が多いです。アンミカさんはモデルをしていた20代の時はどのように仕事をしていましたか?
私が挑戦してきた10代後半から20代前半は、今のような携帯がなく、情報が少なかったので、「百聞は一見にしかず」を大切に、自分の目で見ることを大切にしていました。なので、パリへは、国の最低限のルールを勉強して、5万円を持って取り敢えずは見てみよう! と向かったのが最初でしたね。フランス語も話せないのにたくさんの事務所に連絡をして、オーディションを受けに行きました。結果2度目のパリで事務所に所属ができて、2年半に渡り日本とパリを行き来することに。その後は25歳でNYに、29歳では韓国に留学をしました。とにかく20代は「吸収したい! もっと知りたい! 経験したい!」と言う渇望が強くて……。両親から「失敗は人生の宝の経験。失敗したときに迷惑をかけたなら、相手に誠意を持って謝罪する。その上で、発見と学びがあれば、失敗ではない」と言われて育ってきたので、とにかく"経験"が人生の最優先でした。
両親は、比較的早くに亡くなっているのですが、2人とも亡くなる前に、「三途の川が見えた」と言う話が印象的でした。うちはクリスチャンだったので、その手の話は哲学として信じない両親だったのに、一度三途の川を見てからは、「向こうの世界に行ったら、お金も綺麗な服も持っていけない。経験だけが魂に刻まれ、人生に残るんだ」と言うようになり……。「お金は最低限持っていたらいい。今の内に行きたいところに行き、好きな人に素直に気持ちを伝え、経験したいことに活きたお金を使いなさい」と言い残してくれたので、私達兄弟姉妹みんな、それから人生観が変わりました。
—25歳でNY、29歳で韓国留学をされたとおっしゃっていましたが、今いるベースから新しいところへ拠点を移すことに対して不安や恐れというのはなかったのでしょうか?
これは私の場合は特殊で……。小さい頃から引っ越しを20回近く余儀なくされる環境にあったんです。なので、幼少期から一度として安定をしたことがなかった。安定した生活を送っていると、安定を捨てることが怖くなるから“安定部屋”に居たくなる。“挑戦部屋”はリスクだらけで怖くなる傾向が……。私は不安定な今より、挑戦したほうが自分の力で安定を勝ち取れるのではないか? という夢や希望があったので、ワクワクして挑戦を選んでいましたね。
両親からの教えで、1つだけ気を付けていたのは“どんなことも、自分が選択したことに責任を持つ”ということです。恋愛なんかがわかりやすいかな。よく「男性運が悪くて、また最低な人に当たった! 最悪!」と、愚痴を言う人がいますが、恋愛はお互い様。嫌なら別れるチャンスはあったはず。自分がその人と付き合うことを選んだのだし、問題が起こった時に向き合わずに相手を甘やかしてしまって、互いに思いやれなくなったのかもしれない。人は選択の連続です。その選択ごとに責任を持つのが人生だ! と、シンプルに捉えています。
—そういったなかでいちばん人生のターニングポイントだと感じたのはいつですか?
思い返せば、いろいろありますが、29歳の時がいちばん大きかったかもしれません。その頃は大阪在住で、全国のCMに何本か出ていたり、TV番組のレギュラーも多数持ち、コレクションの仕事も充実していて、初めて人生で安定をしていた時期でした。でも父が急死したことをきっかけに、韓国という自分のルーツを深く知りたくなったんです。時は日韓ワールドカップ。韓国語を学び、日韓両国の良さを知るものとして、双方の役に立てたらと思い、留学を考えました。ですが、その時に初めて、今ある安定を手放すのが怖くなったんです。これは今までの人生で後にも先にも最初で最後のことでした。当時モデルは30歳を過ぎれば仕事はなくなっていくと言われた時代。仕事を全て休んでまで留学するというのは、かなり勇気が必要でした。
—なぜ踏み出せたと思いますか?
私が尊敬していた、とある方に相談したところ、「しなかった後悔は、同じことをして成功した人をずっと羨ましい気持ちで見てしまう。これは嫉妬の種になる。でも、もし自分が挑戦してみたら、成功までの苦労が理解できるから、成功した人を『あなたすごいわね。私はそこまでいけなかった』と素直に認めることができ、称賛の拍手を素直に送れるようになる。もし、挑戦してみてあなたが失敗したとしても、"後悔"ではなく"経験"になるから、それなら経験したほうがいいぞ!」と言ってくださって。それで挑戦を選びました。今もこの言葉は大切にしています。
—どんなところが行って良かったと思えた点でしたか?
国の言葉から見える文化や親のルーツを知れたこと、その時代でしか出来ない経験ができたことですね。当時、日韓ワールドカップが行われていたタイミングでしたから、世界の関心と地球のエネルギーが集まっていた場所に、そこにいた人にしか見えない景色を見ることができたと思っています。19歳で行ったパリは、失うものがない状態で行きましたが、29歳で行った韓国は、自分が失う物を自覚してでも「見たい! 得たい! 知りたい!」と、魂が行きたいと思った場所で、相当な覚悟を持って行きましたね。韓国は、自分のルーツを知れたこと、歴史の大きな1ページを体感できた! という感動や、達成感が大きかったです。日韓がスポーツを通じて近くなり、あれだけのエネルギーが集結したあの時の経験は、今思い返しても、人生の宝物です。
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アン ミカ
1975年3月25日生まれ。韓国出身、大阪育ち。1993年にパリコレに初参加以後、モデル業以外でも、テレビ、ラジオ、講演会、歌手、ドラマ出演のほか、漢方養生指導士、野菜ソムリエなど多数の資格を生かし、化粧品、洋服のプロデュースなど多方面で活躍中。著書「アン ミカ流ポジティブ脳の作り方 365日毎日幸せに過ごすために」(宝島社)などがある。 |