CULTURE
2017.11.11
2015年02月号掲載 ED_LETTER vol.86『I'll make it myself』
I'll make it myself
昔から、中庸なものが好きじゃない。1か100、白か黒、唯一か全て。求めるのは、だいたいそこ。
で、振り返ると何事においてもナンバーワンを追い求めてた時期がある。仕事、勉強、遊び。一等賞以外に、目指すものがわかんなかったし、ある意味目標が明確でブレがないから、気持ち的にはそのほうが楽だったりしたわけで。でもまあ、小学生の時の勉強や遊びならいざ知らず、住む世界が広がるにつれ、なかなか一等賞になるのも楽じゃないことに気づき始め、そのうち、ほとんど一等賞が取れなくなってる自分が、そこに。
ナンバーワンを目指してるわけじゃない、という人達の気持ちが理解不能で、どうせ不可能だと思うから逃げてるだけでしょ、って蔑んで、一等賞以外は全員負け、みたいな態度をして。でも自分が一等賞を取れなくなった時、一生懸命自分に言い訳して、自分が好きなものを無理矢理探そうとして、自分自身を正当化しようと必死になって、好きでもない中庸なもののなかに、自分の居場所を探そうとしちゃったり。でもそんなとこに自分の居場所があるはずもなく、あたかもそこが自分の居場所かのようなフリをして、小さなイライラを繰り返して、やれば出来る子ちゃん的なハッタリ人生の始まり始まり……。
ある日、とりたてて用事もなくふらっとサーフィンしに海に行ったら、もう、めっちゃくちゃ“心地”よかった。なんで心地よかったのかは覚えてないけど、昨日まで眼の前を覆っていた霧がみるみるうちに晴れ、眼で捉えきれないものにどんどん惹かれていって。突然、心が無限大に広がったみたいに、死ぬまでの時間を計算したら絶対追っつかないくらい、まだ具体的にやりたいことが見えてすらいないものまで、全部自分でやりたい、みたいな。
きっと、たいした理由があったわけじゃなく、ものごとの本質を捉えるための力は、なんやかんやともがいてる間に養われ、ふとしたきっかけでそれが心に届いただけで。他人が決める価値基準に心を乱されて自分に向き合えずイライラして、でもまあ、そんなハッタリかましてる時間のなかでも、どこかで自分の頭で考えて、自分の言葉を探して、自分の手を使って、ゆっくりちゃんと自分をつくってたのかな、と思うわけで。
自分を見失うって言ったら大袈裟になるけど、他人の価値基準のなかで生きていると、やっぱりよくわかんなくなる。自分の頭なのか他人の頭なのか、自分の言葉なのか他人の言葉なのか。これだけ世界とリアルタイムに繋がってる今では、またなおさら。だからこそ、自分自身のことも含め、丁寧に手作りで一生懸命つくっていきたい、って心から思う。もちろん、仕事も遊びも。僕が好きじゃない中庸って、中途半端なところにあるもの、とかそういうことじゃなく、中途半端な気持ちで向き合ってしまったもののこと、だなきっと。
ナンバーワンはやっぱり気持ちいいけど、“心地”いいのは、心のこもった手作りのオンリーワン。SMAPも、そんなようなこと歌ってるし、ね。
ナイロン ジャパン編集長 戸川貴詞
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