CULTURE
2019.11.06
新星シンガーソングライター神山羊のインタビューが到着!
NYLON JAPAN12月号に初登場を果たしたのは、独自のサウンドを生み、SNSシーンで話題沸騰中の新星シンガーソングライター神山羊。
見事にグランジMIXファッションを着こなし、昼夜に溶け込む秋の最新ストリートスタイルを堂々披露。
NYLON.JPでは特別にそんな神山羊のweb限定インタビューをお届けします。
希望から一番遠いところで響く歌。
神山羊のオブセッションと現在地。
−神山羊さんって、ご自身の情報をあまりオープンにしていないですよね。
年齢的には、大人ですよ(笑)。でも、精神的にはまだまだですね。
−音楽遍歴について教えてください。
学生時代からインディーズでバンドをやっていたんですけど、それがだんだん本業になっていった感覚です。
−どんなバンドをやっていたんですか?
ジャンルとしてはシューゲイザーですね。マイブラとかが大好きで。当時は残響レコードというレーベルのハードなロックバンドが人気だったんですけど、シューゲイザーはなかなか受けるジャンルではなかったですね。
−残響レコードといえば、THE NOVEMBERS、cinema staff、the cabsとか。大好きでした。
まさにそうですね。cinema staffはバンドをやっていた時の先輩だったんですよ。僕は残響レコードに属していたわけではないけれど、近いところにいて。
−さらにルーツを遡って、どんな思春期を過ごしましたか?
中学2年生ぐらいで近所のボロボロの中古ギター屋さんがあったんですけれど、そこでギブソンのコピーモデルを買って弾いていました。エピフォンでもない、ギブロンみたいな(笑)。
−怪しくて安いギターですね(笑)
まさにそうです。当時はBUMP OF CHICKENとかアジカンとかが流行っていてコピーをしたり、ラリー・カールトンってジャズとかフュージョン系のギタリストやエリッククラプトンを真似て弾いたりもしました。ハードロックも好きで、ディープパープルも弾いてましたね。中学の頃は、家でずっと弾いてました。人といっしょに何かをするのがあまり得意じゃなかったんです。絵を描くのも好きで、ややインドアな生活でしたね。
−自分の内面的な世界と向き合うみたいな。
自分の中でいろいろ作りたいっていう欲はずっとあって、その時は漫画を描きたい、小説を書きたいとか思っていました。そういう衝動が自分の中にずっと残り続けていて、形を変えながらも常にそこにあるという感覚ですね。バンドを始めたのは、高校に入ってからです。
−何かを表現したいという思いを持つきっかけについて、何か覚えていますか?
幼稚園に通っていた頃、紙粘土でオブジェみたいなものを作ったらそれが好評で、「うちの子にもちょうだい」みたいに友達のお母さんに言われたんです。自分の作ったもので人が笑顔になって、自分を必要としてくれたことが、すごく嬉しくて。それが「何かをつくりたい」という気持ちに繋がってるのかもしれません。
−ポジティブなモチベーションがずっと続いているんですね。
いや…それは少し違うんです。何て言うか、僕、本当に、社会不適合者だなってずっと思ってるんです。
−詳しく聞いてもいいですか?
大人になって、会社をやめて、人とのつながりがない生活を送っていた時期があるんですけど、DTMという音楽制作をするための機材を手に入れて、部屋で一人で延々と曲を作っていました。そのうちに、弟がニコニコ動画のことを教えてくれて、初めてVOCALOIDを知って、やばい!と思いました。ボカロもニコ動も全く詳しくなかったけれど、ボーカロイドソフトの「初音ミク」を手に入れて、それが「退紅トレイン」っていう曲につながるんです。ニコ動にその曲を投稿したのは2014年だったので、5年前ですね。
−インターネットのカルチャーにもともと精通していたわけでもなく。
まったくですね。むしろ疎くて。バンド、ライブハウス、CD自主制作、とかそういうカルチャーの中にいたので、ボーカロイドとかニコニコ動画とかアニメとか、全く知らなかった。そもそもニコ動に投稿しても、コメントとか、再生回数とか、よくわかんないっていうのが正直なところで。見ず知らずの人の作った曲にコメントをつけてくれるのは、どうしてなんだ・・・?とか思ってました。たぶんボーカロイドのシーンの人としては珍しいタイプだと思います。
−ボカロって、独特のマナーがあるじゃないですか。そういった部分は、どう意識していましたか?
そこに合わせるということはしていないんです。最初の4曲くらいは自分の写真を使ったMVを作って、そのうちにイラストレーターの「東洋医学」と出会ったんです。僕の楽曲のファンアートをTwitterに投稿してくれて、直接DMを送って、「一緒にMV作ってみませんか?」って感じで繋がって。そこで初めてイラストを使った、ボカロ的なMVのスタイルをつくるようになりました。
−TwitterやSNSを通じて他のクリエイターと垣根なくコラボレーションできるって、いろんな人にチャンスが平等に与えられるプラットフォームですよね。
チャンスはいくらでもあると思うんですけれど、挑戦する人の数も多いので、聴いてもらえるのは一握りかもしれないですね。
−そういった中で神山羊さんが支持される所以は、どういうところにあったのでしょう?
僕は人気が出たっていう感覚が本当にないんです。いわゆるボーカロイドの代表曲みたいになったこともないし、ボカロPとして売れてる実感がないまま今の活動をしているんです。ボカロのカルチャーと自分が大好きな音楽をミックスした形がやりたいって思い続けています。
−ファーストアルバムは「しあわせなおとな」、先日リリースしたミニアルバムは「ゆめみるこども」。神山さん自身は大人と子ども、どちらの側にいるという感覚ですか?
それを意識しなければならないと思ってる人の方が大多数だと思うんですけど、子どもとか大人とか、自分のことを意識することって、あまりないんです。
−このタイトルに込めた思いは、どういったものだったのでしょう?
二つで一つの作品なんです。「しあわせなおとな」は、大人の葛藤を切り取っていて、街を歩く人々をぼんやり眺めて、生活の様子とか、帰ったら何をするのかとか、どうやって死んでいくのかとか…想像を巡らせて曲にしました。「ゆめみるこども」は、子どもの目で見た大人の姿や憧れが、成長の過程でどのように揺れ動き、大人に対する思いがどう変化するのか。そして、自分自身がどうやって大人になるのか。そんな時間の流れを描いたものになっています。二つの作品がつながって、ぐるぐる回るようなイメージですね。
−「ゆめみるこども」はどんな構成なのでしょう?
全部で8曲あるんですけれど、幼児から二十歳ぐらいまで成長していくような作りになっています。
−神山さんは今まさに、夢を叶えつつあるのかな、と思うのですが。
いえ、まだ全然ですよ。子供の頃から、自分の納得いくものを作りたいとはずっと思っていて、でも100%納得できる状態ってなかなかないんです。未だに一度もないですね。
−売れる音楽をつくることと、納得のいくものを生み出すということは、常に一致するわけではないですよね。
僕はそのギャップに耐えられなくて、かつて音楽を辞めたんです。好きな音楽のままで続けられないならやめよう、って。だから今もマーケットとか需要とか、考えすぎずにやっています。自分の救いは音楽しかないので。色々思い返してみても、楽しかった記憶って、音楽にまつわるものだけなんですよね。
−今月のNYLONはユース特集号です。音楽を愛するユース世代にメッセージをいただけますか?
若い世代の人に教えられるようなことは何もないんですよね。いろんなことがうまくできないので。本当に。
−うまく生きられない人にも道がある、というのは、素晴らしいことだと思いますよ。神山さんはそれを体現されていて、人々の希望になるんじゃないかな、って。
そうだと嬉しいですけど、まだ何も成していないので、これから先の自分を見て、例えば音楽が好きな子どもが、音楽をやることで幸せになれるのかもしれないって想像してくれたら最高だとは思います。
− 一度会社員になってから、諦めずに音楽の道に進む決断ができたのは、どうしてですか?
諦めないというか…。サラリーマンをやっていたときも、仕事を生涯やっていける自信がなかったし、向いてないんですよね、会社員に。そもそも何も持っていないし、ゼロ以下みたいな感覚で生きていて、音楽を諦めずに会社員を辞めた、ということじゃないんです。それってプラスの人の考え方だと思うんですよ。代償に捧げるものが何もない感覚なんです。
−苦労があったけどそれを乗り越えて頑張った、みたいな典型的な美談とは違うってことですね。
そうなんです、全然違う。何かを変えるために努力した、というわけでもない。しょうがないと思ってたし。
−弱さを携えながら、音楽を生み出して発信する。こうして雑誌に出ている姿自体が見ている人に何かを訴えると思います。
それは、願いですね。たぶん僕を知らない人からしたら、ボカロPがシンガーソングライターになってどんどんメディアに出ている、っていうだけだと思うんですけど、それでもアンダーグラウンドな文化から人が出てきて、それがこんなキラキラした雑誌に出させてもらえるなら、「俺もできるかも」「私もできるかも」ってみんなが思うきっかけになるかもしれない。今はそれでいいのかなって思っています。
神山羊/Yoh Kamiyama @yoh_kamiyama WEB・SNSシーンで話題のシンガーソングライター。「有機酸」名義でボーカロイドPとして活動後、昨秋から本名義で活動をスタート。神山羊名義になって初の作品「YELLOW」がSNSシーンを中心に流行し、YouTubeの動画再生数は3000万再生を突破。DANCE MUSIC と J-POPの実験的な融合を繰り返し、進化を遂げる神山サウンドが収録された2ndミニアルバム『ゆめみるこども』は現在絶賛発売中。 |
PHOTOGRAPHY: KENTA SAWADA
STYLING: MASATAKA HATTORI
HAIR: YOSHIKAZU MIYAMOTO(BE NATURAL)
EDIT: SAYURI SEKINE
INTERVIEW: TAIYO NAGASHIMA
DESIGN: SHOKO FUIJMOTO
WEB DESIGN: MARIKO TANAKA
CORDING: JUN OKUZAWA